言葉の苦手意識が踊り続ける理由

私は、自分のクラスの時、私が一番楽しんでいる気がする。

楽しくて仕方ない。

ただ、楽しい。そして、みんなの笑い声が楽しい。

最高の幸せ。

 

でも、言葉を発するのが苦痛な時がある。

出てくるのは、擬音だけ。

左右・肘と膝・肩甲骨と鎖骨、間違えたことないクラスは、ハナマル!笑

そして、説明が言葉でできず、最終的にはわたしの体を触ってもらうしかない。

気の毒な生徒さん。

 

昔、自分でかいた詩のなかによく、言葉に対する気持ちが書いてあったのを思い出した。

 

言葉はいらない。言葉なくても通じる魔法がほしい。だったかな?

どれだけの言葉に傷つきどれだけの言葉に泣いただろう。とか??

この思いを表す言葉がない。とかかな?

 

でも、言葉に対してのいろんな感情があるからこそ、言葉の重要さも理解している。

それを埋めたい。

 

だから、踊っているんだろうなぁ。

笑いながら踊る時が幸せ。

涙がでるほど苦しい時、踊ると幸せの涙に変わる。

表せない「言葉」がある。これが踊り続けている一つの理由。

 

そして、私は、本当は歌い手さんになりたかった。

でも、音痴。

ダンスクラスの時、課題曲を口ずさむと笑われる。

曲を流すと、「そういう曲だったんですね。」と言われる。笑

そのくらい、音痴ってことです!笑

 

だからこそ、歌のある曲を踊る時、とっても感情移入しやすい!

歌いたくて仕方ないから、歌い手さんの気持ちで踊れる。

歌い手さんの気持ちになって踊るのが幸せ。

歌、これも言葉だね。

 

もちろん、踊り方にもよるけれど、、、

私は、何時間でも踊っていたい。

踊っているなかに私の心の休憩がある。

 

言葉として発するのでなく、ダンスと会話しているんだろうね。。。

Masha

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