インド古典舞踊が導いてくれること
こんにちは、Mashaです。
私のダンスのスタイルは、大きく分けて2つあります。
1、自分の表したい表現を想像する世界
2、インド古典舞踊という伝統を受け継いでいく世界
どちらも、簡単ではなくどちらも奥が深い。
一般的に、「インド古典舞踊」を選択すると、他のダンスはやらない方がいいと言われることが多いです。
これは、他のダンスを否定しているという意味ではなく、
伝統舞踊というものは、表現するものでありながらも、すべての動きの意味や型を受け継いでいく、そして、楽しむというより「学ぶ」「修行」という意味合いも深くあります。
そこにフォーカス出来る方が良いからだと思います。
型にハマれない私が、果たしてこの世界に飛び込んで良かったのか?
勿論、異端児です!
古典舞踊家になりたい!っと思って、一旦は、他のダンスをすべて止めて、インド古典舞踊の世界へ!
とも思いました。
でも、、、
私には、できない。何も止めることができない。
自由な表現も古典の世界も。
これは、中途半端なのだろうか???
何度も考え・悩み・向き合い、、、今もですが。
もし、これが中途半端という形になるのであれば、、、と、古典舞踊の世界から身を引こうとすると。
古典舞踊の様々なお話がくる。
そしたら、古典舞踊に集中すべきなのでは?と、他のダンスを控えようとする。
と、いろんな提案が舞い込んでくる。
ここでいつも「純粋さ・謙虚さ」ということを学びます。
インドへ行った時もそうでした。
踊ることを目的として動く時、何も話が進まない。
でも、踊ることではなく、心の至福さに焦点が当たっていながら練習をしている時、
不思議といろんな奇跡が起きました。(舞踊のことだけでなく)
実は、わたしは人前で踊るよりも、こっそりと一人で踊っているのが1番好き。
これは、無意識のうちに
自分のエゴと向き合っているのかもしれません。
どんどん人前に出れば「エゴ」が出るという自分を1番知っているんだと思います。
唯一、私がする、「神への祈り」
それは、「私が舞踊に対する純粋さを忘れませんように、、、」
そう思う時、自然と涙がでてきます。
ということは、悲しいかな、、純粋でない時が多いのだろうなぁ。
古典舞踊が導いてくれること。
それは、厳しい決まりのなかにある「至福さ」や「真の自由」。
そこからでてくる「発想・想像」。
地球という中に生き、カラダという制限のある中で生きる。
その制限の中に「まこと」を知るのかもしれない。
Masha